2013年12月4日水曜日

『A2-B-C仙台上映会』終了しました。

『A2-B-C仙台上映会』、おかげさまで200名を超す方に、ご覧いただくことができました。
足を運んでくださった方、次の機会をとお声を寄せてくださった方、
告知してくださった方、本当にありがとうございました。


「記録すること」の意義を、ひしひしと感じる映画でした。
何のために?忘れないために。
福島で起きたことを忘れないために。
福島で起きていることを忘れないために。
世界各地の映画祭でこの映画を見た人たちから寄せられる、メッセージの数々。
「福島のことを忘れない。」
「あなた方は間違っていない。」
「あなたは一人じゃない。」

でも、でも、本当に悲しいことだけど、
私達はいつか忘れてしまう。
流された涙も、押し殺された嗚咽も、胸を引き裂かれるような思いも、
少しずつ、少しずつ薄められて、日常に溶けていく。
10年経ち、20年経ち、私達の子どもの誰か、
原発事故を知らない世代が、廃炉作業を担い、
いつの間にか、福島原発事故は歴史になっていく。
歴史の年表に「東日本大震災発生、福島第一原子力発電所事故」と、
一行で書かれ、資料集に崩落した建屋が載れば、まだマシな方だろう。

イアンさんの映画は、福島が負っている傷を、
淡々と、でもあたたかい眼差しで、映し出していく。
今、私達ができることは、その傷の痛みを想像すること。
映像でしか伝わらないリアリティが、それを可能にし、
想像することで私達は忘却の波と抗うことができる。


朝、うちの子が、リュックを背負って出かける時、
福島の子は、線量を測るガラスバッジを首から下げる。

うちの子は、「ほうしゃのう」と発音したことはないけれど、
福島の子は、「ほうしゃのう」が何か説明できる。

うちの子が友達と他愛のないおしゃべりをしている時、
福島の子は「嚢胞いくつあった?」という話をしている。

福島には通学路の脇で50μsv/hを超える場所がある。
仙台のホットスポットは、せいぜい高くて0.5μsv/h程度。

福島のお母さんは、子どもをどの部屋で寝かせるかで悩んでいる。
2階の子ども部屋の線量が高いから。

福島の子どもたちが遊ぶ園庭には、木が一本もない。
汚染がひどくて、全て切り倒されたから。

そして今この時、福島には甲状腺癌の手術をした子が27人いて、
お母さん達は、子どもが寝た後で泣いていると思う。


避難したことは、後ろ指さされるようなことではない。
避難しなかったことは、責められるべきことではない。
その選択に優劣はないし、どちらを選んでも、いばらの道。
それぞれの選択をいばらの道にしたのは、この国の在り方。
選択の結果を、子どもたちに引き受けさせているのも、この国の在り方。
そして、国の在り方を決めたのは、自分とは無関係な話だと決め込んだ、
誰でもない私達。


私が息子を愛しているように、
私と異なる場所で暮らし、異なる選択をした誰かも、我が子を愛している。
そして私が知らない悲しみを抱えて生きている。
忘れることなどできない。
その痛みも悲しみも、私が引き受けていたものかもしれないから。



『A2-B-C』
12月は京都、神戸のぴあ・フィルムフェスティバルと、
ヒロシマ平和映画祭で上映されます。
福島の今を、ぜひその目で見て欲しいと思います。

http://pff.jp/35th/lineup/unknown01.html

2013年11月11日月曜日

甲状腺検診と講演会のご案内

 
 
日本基督教団東北教区放射能問題支援対策室いずみさんからいただいたご案内です。
仙台では自治体主導で行われている甲状腺検査はありません。
今回は残念ながら、満席になってしまったそうですが、
今後、継続的に検査してくださるそうで、
とてもありがたい取り組みです。
 
 
不安に冷静に対処するには、まず知ることから。
子ども達の甲状腺検査の最前線に立ってこられた西尾先生のお話、
ぜひたくさんの方に聞いていただきたいと思います。
 
 
 
以下転載。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
日本基督教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ


甲状腺検診と講演会のご案内


北海道がんセンターの西尾正道名誉院長による甲状腺検診と講演会を下記の日程で行います。



日時 2013年12月8日(日)9:00~12:00
     ご希望が殺到し、予約を締め切らせていただきました。次回を早急に検討致しま
     すので、しばらくお待ちください。
定員 50名(先着順)
場所 ノーバル・ビル 1階会議室
     仙台市青葉区錦町1-5-1
検診料 無料
検診対象 5歳以上 
申込方法 支援対策室いずみまでお電話かFAXにてお申し込みください。
     申込用紙はホームページからダウンロードできます。




日時 2013年12月8日(日)15:00~17:00
場所 日本基督教団仙台青葉荘教会
     〒980‐0012 仙台市青葉区錦町1-13-48(東北教区センターエマオとなり)
講演 「こどもたちの甲状腺検査から見えてきたこと」
     西尾 正道先生
     独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長
入場料 無料
※申込不要(当日直接会場へお越しください)



お問い合わせ
 日本基督教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ
 〒980-0012 仙台市青葉区錦町1-13-6(東北教区センター「エマオ」内)
 TEL/FAX 022-796-5272
 Email izumi@tohoku.uccj.jp
開催にあたって
西尾先生は放射線、そしてがん治療の専門家です。
原発事故後、福島県を中心にエコーによる甲状腺検査を続けてこられました。この度日本基督教団東北教区放射能問題支援対策室いずみの活動の一環として、仙台市内での甲状腺エコー検診と講演会の開催が決まりました。
 仙台市内では甲状腺のエコー検査はほとんど行われていないのが現状です。今回の甲状腺検診が、人体における放射能の影響による漠然とした不安に対しての一つの切り口になればと願います。
 また午後からの講演会では「こどもたちの甲状腺検査から見えてきたこと」というテーマでお話しいただきます。今実際に起こっていることを正面から見つめ、一人一人がこどもたちの健康について向き合うひと時を持つことができればと思います。多くの方々のご参加をお待ちしております。


西尾正道(にしおまさみち)氏プロフィール
 1947年北海道函館市生まれ。札幌医科大学卒業後、国立札幌病院で、がんの放射線治療一筋に30年。現在、同病院放射線科医長、札幌医科大学臨床教授、京都大学医学部非常勤講師、北海道大学歯学部非常勤講師。日本医学放射線学会専門医、日本放射線腫瘍学会認定医。03年12月から「市民のためのがん治療の会」の協力医代表として活躍。著書に『がん医療と放射線治療』『がんの放射線治療』『放射線治療医の本音』の他、専門書多数。


会場について
甲状腺検診会場と講演会会場は別です。ご確認ください。


甲状腺検診会場 ノーバル・ビル 1階会議室(仙台市青葉区錦町1-5-1)
         周辺に有料駐車場があります。


講演会会場   日本基督教団仙台青葉荘教会(仙台市青葉区錦町1-13-48)
         無料の駐車場があります。

2013年11月5日火曜日

女川で阿部美紀子さんにお会いする、の巻

仙台に暮らしながら、原発反対の声を挙げることは、
そんなに難しいことではないと思うのです。
仙台からは、原発は見えません。
そこで働く人の姿も、原発があることで成り立つ町の暮らしも、
仙台の私達にとっては、少し遠い存在ではないでしょうか。

例えば、隣の人が、兄弟が、親が原発で働く作業員だったら。
原発に賛成するか、反対するかで、生業の在り方や、
周囲との人間関係が大きく変わるとしたら。

1960年代、原発誘致をめぐって、
町を二分する壮絶な推進、反対運動が繰り広げられた女川町。
1979年から本格的な工事が始まり、1983年に初臨海。
その後、約30年にわたって東北、関東地方(夏期は東京電力にも融通)の大都市に、
送電してきました。



















女川原発から1~2kmの小屋取浜から撮影。
付近には釣り人がちらほら。



2011年、東日本大震災によって、女川原発も被害をこうむり、
現在、1~3号機のすべてが停止中です。
女川町でも、800人以上の方が亡くなりました。


















高台になっている女川町立病院から撮影。
病院にも津波が押し寄せ、1階まで浸水した。



















下から見上げた女川町立病院。
震災直後、町立病院の下は湖のようになっていた。




震災後、ご自身も被災されながら、
女川町議選で脱原発を訴えて当選された阿部美紀子さんに、
お会いしてきました。
























1男4女の母でもある阿部さん。
現在は、町立病院横の仮設住宅に暮らす。





カエル:まずは震災直後のことをお聞きしたいと思います。あの時、阿部さんはどちらにいらっしゃいましたか?

阿部:私は石巻で車を運転していました。すごい揺れを感じてラジオをつけたら、津波警報が出ていて、
    慌てて家に帰ろうとしたんですけど、渋滞で全然進まなくて。
    津波で橋は落ちているし、雪で前も見えなくて。
    たまたま前にパトカーがいて、パトカーの通れる道なら大丈夫だろうと、
    パトカーの赤い点滅を頼りに帰りました。
    いつもなら30分で帰れるのに、6時間かかりました。
    家に着いたら、津波で流されて、何もなくて。
    家にいた母と息子は高台の親戚の家の2階に避難していて、無事でした(1階は浸水)。
    
    津波はね、何回も来たんですよ。
    3回目の津波が夜に来て、真っ暗だから何も見えないんです。
    「ガチャガチャ。ガチャガチャ。」という、何かが流されてぶつかる音が聞こえてくるんです。
    その音に混じって、「助けて。助けて。」という声が聞こえて。
    2階から懐中電灯で照らしても、真っ暗で、どこから声がしてるのか分からないんですよ。
    今思えば、ビルの鉄筋か何かにつかまってたんでしょうねえ。
    私たちもどうしようもなくて。
    ただ、2階から海に向かって、「がんばれー。がんばれー。」って、声をかけてました。

    その後、避難所を転々として、今は町立病院の仮設で暮らしています。
           80才を過ぎた父と母は、昨年亡くなりました。


カエル:震災後、女川原発が避難所になったと聞いています。

阿部:そうなんです。あれはひどい話で、議会でも質問しました。
    出島の出島地区と寺間地区、宮ケ崎地区の人たちは、ヘリで避難したんです。
    女川原発周辺の人たちは、最初は女川原発から少し離れた女川原子力PR館に避難しました。
    それから、東北電力の指示で、数百人の人が女川原発の中に避難したのです。
    
    あの時、原発内の計器も壊れて、何も測定できない状況でした。
    万が一、さらに大きな地震や津波が来たら、大惨事になっていたところだったのです。
    6月上旬まで避難所だったのですが、閉鎖されて一週間後、
    4月の降下物の測定結果が発表されました。
    放射性ヨウ素が45000bq/kg検出されました。
    逆算すると、3月13日の時点で、
    女川原発周辺には、20万bq/kg以上の放射性ヨウ素が降り注いでいたことになります。
    (注:3/13の原発敷地内のモニタリングポストの数値は21μsv/h。福島原発から流れてきたものと考えられる。)
    どうして、女川原発の中に避難させたのか、どうしてヘリで避難させることができなかったのか。
    悔やまれてなりません。
    それを、東北電力が原発が地域に貢献したというようにアピールしているのが、許せません。
    
    
    
    
    
                
カエル:阿部さんが脱原発を志したきっかけを聞かせてください。

阿部:私の父、阿部宗悦は漁師をしていまして、原水爆禁止運動にも力を注いでいました。
    核エネルギーの平和利用なんて、ありえないと言っていましたね。
    
    
    石巻の高校を卒業してから、原発反対運動に私も関わるようになりました。
    大学は東京だったのですが、
    東大工学部助手の宇井純さんの公開講座「公害原論」に感銘を受けて、
    1971年には、水俣病のチッソ本社へ直接交渉に行きました。
    大学の長期休みには帰省して、地元で女川原発の反対運動をしてね。
    当時は、こうして帰省する人間のことを「ヒヨってる。」なんて言ってましたが。
    私にとっては、水俣病も地元に建設されようとしている原発も、
    同じ問題でしたから。


カエル:原発反対を訴えることで、周囲からのプレッシャーを感じることはありましたか?

阿部:どうでしょうね・・・。私の父は気性の激しい人でしたから。
    出すぎた杭で打てなかったのかもしれません。
    私自身は感じたことはありませんが、
    子供たちは、「あの家は原発反対だから遊ぶな。」と言われたことがあったそうです。
 


カエル:震災後、女川の皆さんの原発に対する意識は変わったと思いますか?


阿部:変わりましたね。
   福島原発があんなことになって、あちこちで「宗ちゃんの言ってた通りになったなあ。」と言われました。
   震災前は、父と廻船問屋をしていたのですが、
   仕事関係で福島の浪江やいわきの方との付き合いも多かったので。
   皆さん、そうおっしゃってましたね。
   

   でもね、なかなか表には出さないんですよ。
   私に町議選に出るように勧めた人も、
   「自分は表立って、反対は言えないけど、
   このままでは女川の原発反対の灯が消えてしまう。
   あんたなら反対って言えるから、是非出てくれ。」と。
   
   
   父は「そんならあんたが出ろ。」って言ってましたけど。
   もともと、私は人付き合いもそんなにないし、口下手ですからね。
   でも、その言葉に背中を押されて、出ることに決めました。


カエル:これからの女川に必要なものは何でしょう?

阿部:今、町の予算の半分が、電源交付金(原発立地自治体に国から出る補助金)でまかなわれています。
    
    原発に頼らない収益や、雇用を生み出したいですね。
    女川原発も、いずれ廃炉になる時が来ます。
    その時に慌てて、雇用のことを考えても遅いんです。
    今から育てておかないと。
    
    女川にしかないものって、なんだろうって、ずっと考えています。
    女川は、町の八割が山なんですよ。でも手入れされていません。
    例えばペレットを事業化できないかなあ、と考えています。
    それから、桜守の会、という桜を植樹する会がありましてね。
    桜の木でチップを作って、それで女川の海産物を燻製にして売り出せないかなあ、とか。
    

カエル:わっ!それ素敵ですね!

阿部:でもねえ、新しく始める事業には、なかなか補助金が降りないんですよね・・・。
    今、住宅の高台移転が進んでますが、
    これも問題で、職住分離すると、住宅と商店、二重にお金がかかりますし、
    接客しながら、家の仕事もする、というこれまでの海辺のライフスタイルが大きく変わることになります。

    原発ってね、建ってしまうと、なかなか反対運動を続けていくのが難しいんですよ。
    すごくエネルギーがいるんです。
    だから私は、反対するだけじゃなくて、新しいものをつくる方へエネルギーを注いでいきたいんです。
    自然を大事にする暮らしを提案して実践していくことが、原発反対につながっていくんだと思います。


カエル:おお・・・。そのお言葉、原発反対運動40年の重みを感じます・・・。
     今日は本当にありがとうございました。
    
    
    
    
    
   
    
  
   
   

2013年11月2日土曜日

『A2-B-C』仙台上映会のお知らせ










 
『A2-B-C』仙台上映会のお知らせ
題名は甲状腺検査の判定を表す。
「A2」は急を要しないが経過観察をする判定。
しかし、検査を受けた子どもの母親たちは疑問を呈する。
それは杞憂なのか真実なのか、
「安全」という言葉が空虚な響きとなった今、
答えは分からない。
終わらない除染、下がらない放射線量、学校や国の対応への不信。
今、福島で生きる子供たちと母親の記録。

イアン・トーマス・アッシュ監督略歴

アメリカ生まれ。
2000年大学卒業後来日。
初のドキュメンタリー映画『the ballad of vicki and jake』(2006)は、
Visions du Reel国際映画祭で新人賞を受賞。
滞日歴は10年におよび、本作をはじめ、
原発事故後の南相馬で暮らす人々の姿を追った『グレーゾーンの中』(2012)を製作している。
『A2-B-C』は、ニッポンコネクション映画祭にて、Nippon Visions Awardを受賞。

プログラム

日時:11月29日(金)午前の部 10:30-13:00/夜の部 19:00-21:0
場所:せんだいメディアテーク7階 スタジオシアター

上映会&トーク:
10:30-11:40 『A2ーBーC』上映
11:50-13:00 トーク&ディスカッション
   イアン・トーマス・アッシュ監督
   太田茂樹(子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク代表)
   井形 英絵(NPO法人 被災支援ネットワーク・東北 ヘルプ 理事、牧師)

   坂田邦子(東北大学)

19:00-20:10 『A2ーBーC』上映
20:10-21:00 トーク&ディスカッション
         イアン・トーマス・アッシュ監督
         坂田邦子(東北大学)

入場料:無料

託児:有り(11月20日までに事前予約:
       090-9160-4343 grasskite@gmail.com山田まで、
       持ち物:昼食、飲み物)

主催: 『A2-B-C』上映実行委員会
    http://a2bcsendai.blogspot.jp/2013/11/a2-b-c.html
 
協力:カエルノワ、i-くさのねプロジェクト、book cafe 火星の庭、社会情報学会東北支部、東北大学大学院情報科学研究科

お問い合わせ先
東北大学大学院情報科学研究科
メディア文化論研究室
坂田邦子 

mobile: 090-4428-6345
mail: k-sakata@media.is.tohoku.ac.jp
 

 

2013年10月27日日曜日

気になるものを測ってみよう~庭のハーブ編~


なんとな~く気になるものを、市民測定室小さき花さんにお願いして、
測っていただきました。
まずは庭先のハーブ。
お料理に使ったり、お茶にしたりと、何かと重宝なハーブ。
丈夫なので、特に手をかけなくても、
わっさわっさと増えてくれるのもうれしい。
太白区にお住まいの友人の庭先から、
いただいてきました。





















さて・・・結果はいかに。






















Cs-134 :12.07Bq/kg
Cs-137 :不検出 (検出下限値:13.66Bq/kg)
小さき花のスタッフさんから、丁寧なメールをいただきました。
 
「資料の重量が軽かったため、測定時間を長く取りました。
通常であれば、137は134の2倍程の値がでますので、
重量による誤差がでてしまっているかもしれません。
ただ、誤差はあるにせよ、137も、
『検出下限値:13.66Bq/kg』で不検出ですので、
10Bq/kgくらいはあるのかもしれません。
もちろん、これは推測の域を出ません。
正しくは、
『13.66Bq/kg未満で、Cs-137があるかもしれない』
としか言えません。」
 
 
・・・ということでした。
 
 
うう~ん、思っていたより高い数値が出て、びっくりです。
こちらのお庭は、震災から半年後に、表土を10cm剥ぎ取っているそうです。
周辺に雨水が流れ込むような雨樋もなく、
なぜハーブから10ベクレル以上検出されたのか、不思議です・・・。

気になるのは、表土を削った後に、ホームセンターで買った土を足していることと、
種ではなく、同じホームセンターで買ったハーブポットを、植え替えたこと、でしょうか。
ホームセンターの土か、ハーブポットの土が
かなり汚染されていたのかもしれません。


震災後しばらくして、高濃度に汚染された腐葉土が
日本各地のホームセンターで販売され、大騒ぎになりましたよね。
http://savechild.net/archives/7479.html
こちらのサイトに分かりやすくまとめてありますので、ご参考に・・・。

現在、肥料や腐葉土の暫定基準値は400bq/kgです。
http://www.maff.go.jp/j/syouan/soumu/saigai/supply.html


最近は、ホームセンターの土も産地を確認できますし、
ベクレル表示をされているところもありますが、
心配な方は、確認された上、測定された方が良いかもしれません。
ハーブポットの土は・・・確認したことがないのですが、
種から育てた方が安心かと・・・。

家庭菜園にも、震災前とは違った心構えが必要だと思う今日この頃です。






2013年10月20日日曜日

宮城県知事選挙に向けて~現職村井候補からのお返事~

さてさて、佐藤さんの取材はかないましたが、
村井さんはどうかしら~、と気をもんでおりました。
選挙事務所にお電話してみたところ、
やはり、公務もあり、多忙なので難しい・・・とのお返事。
残念!!!
しかし、せっかくなので、アンケートをお渡ししてきました。
昨日お返事をいただきましたので、掲載します。


では!みなさま、心してお読みくださいませ!長いですよ!



☆原発事故による放射能被害について

Q1:公開討論で、「宮城県産の食材をもっと海外へ輸出していきたい。競争力の強い攻めの農業を   つくる。」と、仰っていましたが、農林水産省のHPを拝見しますと、原発事故の影響により、宮城県産の食材は、韓国、中国、アメリカ、EU諸国などで、輸入禁止や、検査証明書の提出、現地でのサンプル検査を要求されるなど、様々な形で輸入を制限されています。
今まで以上に、検出限界の低いきめ細かな検査体制と、情報の公開が、各国の一律的な対応を
回避するのでは、と思われるのですが、輸入制限解除に向けて、どのような対策をお考えか、お聞かせください。


A1:市町村やJA、魚市場などの関係機関の協力を得ながら、県産農林水産物の放射性物質検査をきめ細かに実施し、安全な食品の流通を確保するとともに、その検査結果については全て、「放射能情報サイトみやぎ」等において速やかに公表しております。

今後とも、きめ細やかな検査と迅速な情報公開に努めるとともに、全面輸入禁止措置を講じている中国や、厳しい規制を執っている韓国などに対して輸出規制の緩和を求めるよう、引き続き政府に働きかけを行なっていきたいと考えています。


Q2:山林の放射能汚染が深刻なため、原木椎茸やたけのこなど、特用林産物の生産者の方は、大変苦労されているようです。東京電力への損害賠償請求はもちろんのこと、経済的支援や、除染など、県が主導して行なっている政策があれば、教えてください。


A2:原木椎茸やたけのこなどの特用林産物については、国の基準値を超過した生産物が流通することのないよう、県において出荷前の放射性物質の検査を徹底しております。
 また、生産者を対象に賠償請求説明会を開催するなど、各種賠償に関する支援や情報提供を行なっているほか、森林や竹林の除染実証を行い、出荷制限解除に向けた検討を行なっています。
 さらに、原木椎茸については、汚染ほだ木の撤去、集積や安全な原木の確保、施設栽培への転換等の支援を行なってきたほか、今後は、出荷制限解除に向けて、協議会を組織化するなどの支援を予定しています。


Q3:原発事故・子ども被災者支援法の基本方針が、今月閣議決定されました。
宮城県南の丸森町は、福島県内と変わらない高線量であるにもかかわらず、支援対象地域ではなく、準支援対象地域に指定されました。現在、丸森町では、町が主導して子ども達の甲状腺検査を行なっています。国が適切な支援を行わなかった場合、県が独自に、丸森町のような高線量地域に住む子ども達の健康を守るために、どのような施策を行われるのか、お聞かせください。

また、モニタリングポストが地震と津波で損壊した、という理由で、宮城県民のみが、震災後数ヶ月の正確な被ばく量を知らされていません。分からないことで、かえって不安を感じている母親も多いと思います。宮城県で安心して、子どもを産み、育てるために、健康診断や甲状腺検査を実施される予定があれば、教えてください。


A3:福島第一原子力発電所事故による健康に対する影響への対応については、国から具体策が示されなかったことから、他県に先駆けて有識者会議を立ち上げて議論していただいた結果、「科学的・医学的な観点からは、現状では健康への悪影響は考えられず、健康調査の必要はない」とされました。
 一方、有識者会議の提言に基づき、県民の不安解消のため、
①放射線に対する正しい知識の普及啓発
②がん検診の受診推奨
③生活習慣改善による発がんリスクの低減
④がん登録の整備推進等の具体策を実施する
とともに、放射線の健康影響とそのリスクについて科学的に正しく説明できる人材を育成するために、環境省が昨年度から実施している研修会に協力しております。
 また、平成25年8月30日には、国から子ども被災者支援法の基本方針が公表され、
福島近隣県における個人線量計による外部被ばく状況の把握等が施策例として示されました。
 現在のところ、支援対象地域の指定基準が不明確であり、原発事故による被害を受けている県内の自治体や住民の理解が十分に得られていない状況にあることから、一律に県境で線引きすることなく、客観的な基準に基づく支援対象地域の指定を行うことや、地域の実情や地域住民の意向を踏まえた内容とするような要望を行なっており、今後、施策の具体的な内容が明らかになり次第、関係する市町の意向を確認しながら、適切に対応してまいります。



☆農林水産業への支援政策について

Q1:マニフェスト達成状況を拝見すると、食料自給率85%に対して、一次産業の新規就業者目標が少ないように感じました。農業や漁業を生業にしたい、という若い世代を支援するために、行なっている施策があれば、教えて下さい。

A1:農業における本県の年間就農者数は、平成20年度までは70~80人台で推移していましたが、
平成23年度は113人、24年度は172人と増加傾向にあります。
 時代を担う優れた青年農業者等の育成及び確保を図るため、就農相談や実践的な農業教育の場の提供を行うほか、営農のために必要な農業技術等の習得を支援するため、各種施策を展開しています。
 水産業においては、新規就業者を確保するためには魅力ある水産業の構築とともに、就業希望者の受け皿となる優れた経営能力を持った経営体の育成が必要であり、そのために、震災後に新たに設立された経営体に対しては、漁業経営指導を行なってきました。
 また、地域の漁業を牽引する担い手団体(漁協女性部、青年部等)が、活発な活動を展開できるよう、経営や生産に関わる支援を行うとともに、就職を希望する方々に宮城の水産業をPRし、水産業への就業者確保に努めているところです。


Q2:10月14日付けの河北新報に「水産特区論戦低調」という記事が掲載されていました。
漁業関係者でないと、なかなか分かりにくい話題だと思います。村井候補は水産特区を提唱されていますが、漁業権が漁協から法人に移ることで、どのようなメリットが漁業関係者にあるのか、
復興にどのように役に立つのか、お聞かせください。

A2:今回の震災により、各漁村は壊滅的な被害を受け、漁業者がごくわずかしか残っていない浜も出てくるなど、このままでは漁村と漁業の衰退が懸念される状況になりました。
 そのため、このような浜でも将来にわたり漁業が継続できるよう、復興のための選択肢のひとつとしてしう産業復興特区を提案したものであります。
 地元漁業者を主体とした法人が自ら漁業権を有することで、安定した経営基盤のもと民間資本の有するマーケティングなどのノウハウが導入され、生産から販売まで一貫した取り組みにより、壊滅的な被害を受けた漁業及び地域の活性化が図られると考えております。


☆復興政策について

Q1:沿岸部では高台移転がすすみ、人が住まない地域にも、防潮堤の建設が進んでいると聞いています(例えば、南三陸歌津など)。巨大な防潮堤は、養殖業などの地域の生業にも影響を与え、海が見えないことで、津波への危機意識を鈍らせるのではないか、という意見もあります。
 防潮堤に頼りすぎるのではなく、道路の内陸部への移転や、地域社会で防災意識を高める工夫など、住民の意見を反映した防災計画を作るために、相談会や対話集会を開かれる予定があれば、教えて下さい。

A1:災害に強いまちづくりを進めるため、県では、防潮堤の建設だけではなく、高台移転や職住分離を図るとともに、幹線道路等の交通基盤や防災緑地による「多重防御」などの多様な取り組みを進めています。
 また、安全な避難場所と避難経路の確保や適切な避難誘導の体制づくりなど、ハード・ソフト両面による対策を地域防災計画に盛り込んでいます。
 さらに、地域の防災意識を高めることが重要であることから、県では、地域や事業所において震災対策の活動の中心を担う「宮城県防災指導員」の養成や、「みやぎ出前講座」などの取り組みを進めているところです。
 地域住民の意見の反映につきましては、災害対策基本法の改正によって、地域の特性に応じたボトムアップ型での防災活動を内容とする「地区防災計画」制度が創設されたところであり、このような制度の活用も含め、引き続き市町村と連携して、災害に強いまちづくりの推進に向けた取り組みを進めてまいります。


Q2:10月11日付けの産経新聞に、医療費免除打ち切りの影響で、被災者が受診を控えたり、免除が続く岩手県に移住している、という記事が載っていました。佐藤候補にお話をうかがった時に、災害復興のために国から出た補助金と寄付を活用して復活させたい、とのことでした。村井候補は350~360億と言われている補助金と寄付は、どのように使われる予定か、教えて下さい。

A2:国から東日本大震災の復興に向けて、被災団体が地域の実情に応じて、住民生活の安定やコミュニティの再生、地域経済の振興、雇用維持等について弾力的かつきめ細やかに対応できる資金として、宮城県には660億円(うち半分の330億円は市町村に交付済み)が特別交付税として交付されています。
また、各方面からいただいた寄付金(平成25年8月末現在で294億円)等についても、国から交付された特別交付税等とともに東日本大震災復興基金及び地域整備推進基金に積立を行い、復旧・復興事業の財源として活用しております。
東日本大震災復興基金は、被災された個人や団体などの早期の復興のために県以外事業主体となって行う事業、具体的には仮設住宅共同利用施設の維持管理費などの被災者の生活支援や教育、農林水産業、商工業支援に活用し、地域整備推進基金は、県が事業主体となって行う事業に活用しています。
なお、各基金の復興事業分の平成25年度末残高は約360億円(東日本大震災復興基金が259億円、地域整備推進基金が101億円)の見込みであり、今後も現在実施中の事業の継続を含め、計画的に活用していきたいと考えております。



☆最後に、「富県宮城」と掲げる村井候補にとって、「豊かさ」とは何ですか。

A:私は政治家を志し、松下政経塾に入塾しましたが、この松下政経塾の創設者である故松下幸之助さんは「PHP運動」を提唱しました。PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)」の頭文字をとったもので、「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」という願いが込められています。確かに人間は今日よりも明日、明日よりも5年後、5年後よりも10年後に発展する、豊かになれるという希望がなければ、幸せを感じることはできないと思います。私は知事就任後に「宮城の将来ビジョン(長期総合計画)」を策定しましたが、その際に、「政治は何故必要なのか?」、「行政の役割はどこにあるのか?」と何度も自問自答し、尊敬する松下幸之助さんのPHPの考えを自分なりに咀嚼して県政運営の理念を策定しました。
私の県政運営の理念は「富県共創!活力とやすらぎの邦づくり」です。伝えたいことは、県民の皆さんが将来に希望を持って自立できる豊かな社会を国や行政任せではなく県民皆で作り、そこから得られる富の循環によって活力とやすらぎの県土を創造したいということです。
理念とは人間の体でいう背骨のようなものです。松下幸之助さんは自分の経営理念に照らして、時に損すると分かっていてもそちらを選択するような方でした。私も私個人にとってどんなにマイナスになることであっても、県政運営の理念に照らして間違っていないと判断した時は思い切って舵を切ってきたつもりです。
これからもその理念に基づき、自分にとって得か損かではなく、多くの県民にとってそれが豊さにつながるものなのかどうかで政策を策定してまいります。

2013年10月13日日曜日

佐藤正明さんから、雇用問題の質問に対する回答が来ました。

先日の佐藤さんの取材に同行してくださった、
 Sさんの質問への回答が来たので、転載します。
すっごい長いので、気合入れて読んでくださいね。
答えてくださった担当の方、すごいな・・・。
「被災者・県民がつくるあったかい宮城の会」から立候補されたのですが、
「熱い宮城の会」に改名されたら良いのでは。
熱い、熱いぜ。

多分、宮城県だけの問題じゃなくて、
日本という国の方向性とも絡んでいる話だと思うので、
読んでみると、誰しも思い当たる節があると思います。
気合を入れて、ぜひご一読を。

【質問】
被災者支援には、雇用促進が必要と考えています。
3.11から2年7ヶ月が経過し、震災や原発事故被災者の生活は困難を極めています。
若者は、沿岸部より内陸部へ移住していると聞きます。
沿岸部に戻るには、第一次産業で生活できるような政策が必要だとおもいます。
また、原発事故被害者の避難者の中には、
生活のため家族別々の生活を余儀なくされている人がいます。
宮城県に雇用創出政策があれば救われる人もいるのではないでしょうか。
被災者の声を反映しつつの話ではありますが、
雇用促進についての対策はお考えがありましたら、お教えください。
よろしくお願いします。

【回答】
ご質問、ありがとうございます。
沿岸部の人口減少はご指摘のように非常に深刻で、
県統計では気仙沼市の人口減少が大きく、
震災前の約7万3千人に対し、
今年9月1日で6千人もの減で約6万7千人。
南三陸町、女川町では減少率はもっと深刻です。
これは被害の大きさ、住宅や雇用の場が
いかに大規模に失われたかを示しています。
被災地と原発事故避難者を含めた被災者に対する
総合的な対応が必要ですが、
その中でも働く場を確保することカナメの一つです。
とくに今、ガレキ処理作業が終息に向かっているので、
そこで働いていた人たちの次の働く場所を確保することが
緊急に求められています。

●緊急雇用は、「基金」を活用した具体化を急ぎます

まず、緊急の雇用対策です。
国からの交付金である「緊急雇用創出事業臨時特例基金」を活用して
緊急に働ける場を作ります。
決算時(3月末)に808億円(3月末)の残高がありましたから、
万人単位で緊急雇用を支えることが可能です。
ただし、今年度中に契約しておかないと
来年度にその人の雇用には適用されなくなるといった
「シバリ」がかかっているので、
実態を踏まえてこれをなくすよう国に認めさせます。
すでに超党派で働きかけが始まっているので、必ず実現します。

●被災地の生業再開を応援して雇用の回復を進めます

次に、被災地の農業・漁業の再建を進めて、
働いていた人が戻れるようにします。
村井さんの「富県戦略」は、
大企業誘致に一面化し、
農林水産業の予算をどんどん削っていますが、
復興でも農業では農地の「大区画化、集約化」(マニフェスト)に
一面化しています。
これは小さい農家を切り捨てて農業従事者を減らす方針です。
私は、規模の大小を問わず、再開したい農家すべてを支援して、
兼業も含めた農業分野の雇用維持に努めます。
水産業については、漁業者がいるすべての漁港を復旧し、
村井さんのような「集約化」は考えません。
漁業資源維持や安全航行などに漁民の連帯は不可欠で、
これを壊す「水産特区」を撤回して、
養殖、定置網等の漁に復帰できる人を増やします。
家族経営も含めて、新たに農林魚業に従事する人には
月10万円程度の所得を5年間保障する制度をつくり、
生命産業を新たに支える人を応援する県政を進めます。 

●雇用の主役=中小企業支援に転換、被災地の生業再開を応援

 地域経済の主役は中小企業で、雇用の大半はここに依存しています。
だから、通商企業の再開を総合的に支援することこそ、
雇用を元に戻し拡大する中心の政策です。
村井さんもこの点は認めています。
沿岸部では、せっかく工場を再建するグループ補助金をもらえることになったのに、
地盤沈下したところに土盛りする「かさ上げ」が進まないために仮工場しか再開できず、
雇用も以前の数分の一にとどまっているケースがあります。
まちづくりを急ぐことで事業再開を推進し、雇用の回復を進めます。
気仙沼市などで、村井知事が高すぎる防潮堤を住民に押し付けて、
まちづくりの妨害になっています。
国の指針は、防潮堤が壊れる前提で津波浸水を想定して、
まちづくりを進めることになっています。
堤防は万全ではないので、避難の確保など、
防災は総合的に考えることになっています。
堤防の高さは、景観・環境・産業への影響などを総合的に
考えて決めるのが海岸法の趣旨です。
私は地元の提案を尊重して計画を変更し、
住み続ける人たちの復興に全力をあげます。
村井さんは、高すぎる防潮堤を押し付けて、
住民のいない地域になってしまうことを意に介していませんが、
念頭に「沿岸被災地等への企業誘致」(マニフェスト)があるからです。
大企業誘致と大型開発に県政を一面化している「富県 戦略」こそ、
復興の最大の妨害になっていることに目を向けてください。
再開した企業は、休んでいた間に別の企業に取引先を奪われ、
事業規模が以前より下回った状態で、
その結果として雇用が回復していません。
そこで、県が販路の拡大などをもっと支援するようにします。
他にも、仮設住宅を循環する通勤・買い物・通院を支援するバスなど、
雇用に効果のある対策を推進します。
これらの事業を進める財源には、
「みやぎ発展税」(年約30~40億円)をふりむけます。
これは県内のすべての事業所に負担していただいている税金
(法人税に上乗せして課税している)なのですが、
これまではトヨタ自動車や東京エレクトロンなどの
誘致した大企業誘致にバラまかれてきました。
しかし、地域経済と雇用の主役は農林水産業と中小企業ですから、
私は中小企業を応援して雇用を拡大するために活用します。

●長期的な雇用拡大の戦略の第2は医療・福祉・教育の充実

 医療・福祉・教育の充実で、雇用を拡大します。医療や福祉の産業では、
人件費にその事業の大半が使われるので、
非常に雇用効果が大きいのです。
ここを充実させることは、若者の雇用に効果があり、
専門性の高い学校・大学に学んでいる学生たちに大きな励ましになります。
例えば保育ですが、「安がり」「民間まかせ」の保育政策が原因で、
募集しても保育士に応募しない、
保育所の待機児童が減らない事態があとを立ちません。
行政の責任で、認可保育園を増やす政策に転換して、
待機児童をなくし、暮らせる賃金をもらえる保育の雇用を増やします。
同じことが介護などにも言えます。
 「35人学級」は小学1・2年と中学1年だけなので、
すべての学年に拡大していき、教師を増やします。
競争主義をやめて、「誰でも自分らしく伸びる」教育に変え、
被災体験で心のキズを抱えている児童生徒に向き合う教育を進めたいのです。
 
村井県政の「富県戦略」は、大企業応援と表裏一体で社会保障や
教育を切り捨ててきたので、福祉・教育の行政水準が全国最低ランクです。
震災前まで、就職難が深刻な県として沖縄、青森に続いて、
宮城県がワースト3位を続けてきたのは、県政に問題があったからです。

●ニセの「行革」=公務員バッシングにだまされてはいけない

 雇用に関わる問題で、ぜひみなさんに知ってほしいことは、
「公務員天国」などと一面的に取り上げる「公務員バッシング」が誤りだとういう点です。
 村井知事は、平成の大合併を主導し、71市町村を35市町村に半減させました。
そして2010年までの5年間に、県職員2600人、
市町村職員2000人、合計4600人もの自治体職員を削減しました。
その直後に大震災が襲い、いま県も市町村も職員不足が復興の障害になっています。
社会全体に奉仕する公務労働の役割を正しく評価してください。
残っている職員は、残業に次ぐ残業で、うつ病などが蔓延するようになっています。
私は、復興を加速するために国と全国の自治体に応援派遣を求め、
県職員の市町村への応援派遣を進めるつもりです。
当然、復興のために必要な県職員を増員するつもりです。
もちろん、雇用の拡大になります。
 村井さんのいきすぎた「行革」が、復興を妨害し、
公共部門の雇用を縮小してしまったことは厳しく批判しなければなりません。
市町村だけでなく、都道府県までリストラする道州制(村井さんの持論)は、論外です。

●大企業誘致は、正規の拡大には効果がなく、雇用創出には限界が

最後に、トヨタ自動車(当時の名称はセントラル自動車)が
宮城県に移転してきたとき、従業員は神奈川県・相模原から移転してきて、
地元採用はあまりありませんでした。
公表された新しい雇用は200人前後で、
身分は派遣や臨時が多く、正規雇用はわずか30人程度でした。
誘致した大企業により、どれだけ正規雇用が増えたか、
村井県政はその後、数字も発表しなくなりました。
世界に展開している企業は、
人件費などのコストを抑えて利益を上げることが狙いで進出先を選んでいます。
ソニーが、多賀城市と登米市(豊里)で、
大震災後に793人のリストラ計画を進めています。
つまり、大企業は進出もすれば、撤退もするのです。
村井知事の陣営が、進出した企業名だけをあげて、
撤退した企業にはふれず、
どれだけ雇用が増えたかも明確にしないのは、
大企業誘致に依存する雇用対策には大きな限界があるからです。

●復興と雇用を妨害―暮らしも財政も壊す消費税増税をストップ

私は、消費税増税を中止するよう、県政の場から全力をあげます。
増税反対の世論と運動は急激に広がっており、
国政選挙がない中で、宮城県民の意思表明は国政を動かす力になります。
いま消費税は税率10%ですが、
宮城県民の消費税負担額は2413億円(2010年の推計値)です。
8%への増税による負担増は約1500億円。
それだけ消費が減って経済が収縮し、雇用も奪われます。
住宅再建などにとりかかる被災者には新たな負担になり、
消費税増税は復興の妨害です。
消費税増税は、日本全体に、暮らしも経済も壊す作用を及ぼします。
増税分の大半をばらまく方針で、財政再建にもなりません。
景気が冷え込むというのなら、増税そのものをやめるべきです。
すでに生活保護は切り捨てが始まり、年金は10月分から引き下げ、
来年は医療費の負担を増やす計画です。
「社会保障のため」という消費税増税の口実は、使い古されたウソです。
バラまきの大半は法人税減税にあてられ、
恩恵をうけるのは黒字の大企業ばかりです。
赤字が常態化している個人事業主や中小企業には、
(赤字で法人税をもともと納税していないので)減税はなく、
増税と負担増になりますから、踏んだり蹴ったりです。
私たちは25年間、復興増税で所得税を以前より多く負担し続けるのに、
「がんばろう 日本!」から、大企業だけ逃げ出していいというのは、
納得がいきません。
この消費税増税を、2011年5月に政府の復興会議で
真っ先に提案したのが村井知事でした。
私は厳しく批判されるべきだと考えています。

●TPP(環太平洋連携協定)は農林漁業も保険も国家主権も壊す

 TPP参加について、専門家は、「アメリカが経営するぼったくり
バーにはいるようなものだ。日本は徹底的にカモにされるだけだ」と、言っています。
TPPが、農林水産業を壊滅させることをご承知ですか。
TPP推進の自民党ですら、「聖域」を設けると公約したほど、
公的医療保険、食品の安全、そして国家主権にも致命的な打撃になります。
雇用への悪影響は計り知れません。
私は、TPPストップに全力をあげます。
ところが、北海道東北の知事が軒並みに反対を表明しているなかで、村井知事だけがTPPに反対せず容認しています。

●宮城県と日本の進路を問う、巨大な意義をもつ選挙です

安倍内閣が、財界の言うままに、
消費税増税、TPP、原発再稼働と輸出、
社会保障の全面的な改悪、道州制などを進めようとしています。
目先の利益を追い求める大企業を応援する中味の政治ばかりです。
これを宮城県政で推進しているのが村井県政です。
ですから、今度の宮城県知事選挙は、個々の政策というよりも、
宮城県と日本の進むべき道が大きく問いかけられている選挙になっています。

・大企業誘致一面化の「富県戦略」を、
暮らしと地域経済の主役であるから農林水産業と
中小企業を優先する「ふるさと再生」に転換する。

・大型開発優先の「創造的復興」を、
被災者の生活を支援し、
被災地の生業と住宅を再建する「人間の復興」に転換する。

・放射能対策は、ゼネコンの仕事づくりになる除染と処分場を優先させる県政を、
県民の命と安全を守る健康調査、
海産物など食品のモニタリングなど、
子ども被災者支援法の精神で対策を進める県政に転換する。

・女川原発再稼働容認の県政を、
再稼働中止、「原発ゼロ」を宮城県から進める県政に転換する。

・財界言いなりに消費税増税やTPPを進める安倍政権に、
国民の立場からストップをかける県政を誕生させる。

以上が、争点だと考えています。
結論的に言えば、雇用確保の最大の障害が「富県戦略」です。
私たちが、基盤産業である農林水産業と中小企業を支援する、
福祉・医療・教育を充実する県政を訴えている理由は、
それが雇用の分野でも大道を切り開くことになるからです。